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仙台高等裁判所 昭和30年(ネ)599号 判決

控訴人 中川八重子

被控訴人 中川{胞衣}之進

主文

宮城県黒川郡大和町吉田字上童子沢所在、別紙図面表示の(イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ)・(ホ)・(ヘ)点を順次結び、(ヘ)点から西方用水堀に添い(ワ)点に至り、同点から北東方松伐根・(オ)点を経て東南方塚及び松根堀取跡くぼ地を経て(ル)点に至り同点から南方(イ)点に囲まれた地域が控訴人の所有であることを確認する。

控訴費用は被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、別紙図面表示の(イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ)・(ホ)・(ヘ)点を順次結び、(ヘ)点から西方用水堀に添い(ワ)点に至り、同点から北東方松伐根・(オ)点を経て東南方松根堀取跡のくぼ地を経て(ル)点に至り、その南方(イ)点に囲まれた地域が控訴人所有の宮城県黒川郡大和町吉田字上童子沢二〇番の六山林三反三畝一三歩であることを確認する。(従来の境界確認の訴を以上のとおり所有権確認の訴に変更する。)訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。との判決を求め、被控訴人は訴の変更による右の新訴につき請求棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠関係は、次に記載する事項のほか、すべて原判決摘示事実と同一であるからこれを引用する。

控訴代理人の陳述

(一)  請求の趣旨記載の地域は控訴人所有の宮城県黒川郡大和町吉田字上童子沢二〇番の六山林三反三畝一三歩に所属するものであり別紙図面表示の(イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ)・(ホ)・(ヘ)点を順次結んだ線は、同山林と被控訴人所有の同所二〇番の四畑一反七畝六歩・同所一九番の一山林四反七畝二九歩・同番の二山林三反三畝一九歩との境界線である。

被控訴人が右一九番の一・二の山林と控訴人所有の二〇番の六山林との境界線であると主張する線は、控訴人所有の二〇番の六山林と二一番山林との境界線に当る。

もし仮に被控訴人所有の一九番の一・二の山林と控訴人所有の二〇番の六との山林が被控訴人の主張する線をもつて境界とするものとすると、従来占有関係に合致せず、また甲第三号証の公図と合致しないばかりでなく、二〇番山林から分割された二〇番の六山林は同じく二〇番山林から分割された二〇番の四畑及び二〇番の七山林と接続しない結果を来し不当である。

(二)  一九番の一・二の山林と二〇番の六山林との境界については昭和七~八年ころ被控訴人と控訴人の前主である板垣実との間に紛争があつたが、当時板垣実は郷里を離れ小学校教員として勤務し、母板垣とくゑが留守を守つていた。そして、板垣実の父板垣伊太郎も小学校教員として勤務し、一家は教養のある人達であつたから、無理難題を持ちかけて被控訴人に挑戦したのではなく、被控訴人の所有権侵害に対し受けて立つたのである。しかし、板垣実は表面に立ち控訴人と争うことを欲せず、他日山林の返還を受けることとし、昭和九年に二〇番の六山林を広瀬万吉及び泉田とく江両名に譲渡し、広瀬万吉・泉田とく江両名と被控訴人との間で争訟が行われその結果被控訴人はついに屈し、昭和一一年四月右両名から二〇番の六山林毛上を買受け、次いで昭和一三年二月同山林を買受けて紛争は落着した。ところが被控訴人は同山林ばかりでなく、境界を犯し当時吉田潤平所有の二一番山林の毛上をも伐採するに至つたので吉田潤平は兇暴な被控訴人を相手にすることを欲せず、二〇番の六山林の売主である広瀬万吉・泉田とく江らに抗議したので、広瀬らは同年六月二〇日被控訴人に対し同番山林の買戻権を行使し、訴訟の結果勝訴の判決を得、同年八月山林につき所有権取得登記を経由した。昭和一四年八月吉田潤平は右広瀬万吉・泉田とく江両名から二〇番の六山林の譲渡を受け、昭和一八年一月所有権移転登記を経由したのであるが、被控訴人は、広瀬万吉らが同山林買戻に際し供託した代金は受領していないから判決に従う必要はないと称し、その後も向山林及び二一番山林の一部毛上を自らまた近親に与え伐採した。

昭和二二年九月被控訴人のおいに当る中川辰雄が吉田潤平から二一番山林を買受けてからは、被控訴人は境界を侵し、同番山林の毛上を伐採することはなかつたが、二〇番の六山林を入手するため、吉田潤平と交際のあつた姉中川たけ(中川善七の妻)を介し昭和二四年七月ころ右吉田に買受方申入れたが、吉田は被控訴人の仕打を憎みこれを拒絶するとともに、中川たけにならば売渡してもよいということであつため、たけは自ら同山林を買受け、控訴人の所有名義に移転登記を経由した。

その後被控訴人は右たけらに対し、被控訴人所有の農地と二〇番の六山林とを交換することを申入れ、たけら一家は一旦これを拒絶したが、姉弟の間柄でもあり調停により解決しようとして仙台家庭裁判所に調停の申立をしたところ、被控訴人は調停期日に出頭せず不調に終り、被控訴人は再び境界を犯し二〇番の六山林地内に立入り毛上を伐採するに至つたので、控訴人は仮処分の上本訴を提起した次第である。

被控訴人の陳述

被控訴人の従来の主張に反する控訴人の主張事実は否認する。

証拠関係

控訴代理人は、甲第九ないし第一一号証を提出し、当審での証人吉田潤平・渡辺幸吉・佐藤文男・中川善七の各証言、検証及び鑑定人黒田幸衛の鑑定の結果を援用し、同検証及び鑑定図面中二〇番の六と表示してある部分は二一番山林に該当するものである。と述べ、被控訴人は当審での証人安藤はる・中川うん(第一・二回)の各証言を援用し、甲第九・一〇号証の成立は認める。甲第一一号証の成立は不知、右検証及び鑑定図面に各二〇番の六の表示は現地に合致するものである。と述べた。

理由

控訴人は、従来第一審判決摘示のとおり境界確定及び損害賠償を求めていたが、当審で請求の趣旨を主文第一項のように変更した。そして弁論の全趣旨によると、控訴人は右境界確定の訴に替えて、新たに右所有権確認の訴を提起し、また損害賠償の請求はこれをしないことにした消息が明らかである。すなわち控訴人は、旧訴を全面的に取下げ、訴訟だけについて審判を求めたものであり、被控訴人が右旧訴の取下についてそれとなく同意したことも弁論の全趣旨で明らかであるから、旧訴は右取下によつて終了したものというべきである。また右訴の変更は、請求の基礎に変更なく、またいちじるしく訴訟手続を遅延させるものとは認められないから、その許されるべきものであることはいうまでもない。

そこで控訴人の新訴について判断する。

(一)  控訴人所有の宮城県大和町吉田字上童子沢二〇番の六山林三反三畝一三歩と被控訴人所有の同所一九番の一山林七畝二九歩・同番の二山林三反三畝一九歩・同所二〇番の四畑一反七畝六歩とが隣接していることは当事者間に争がない。

(二)  控訴人は主文第一項表示の地域は控訴人所有の二〇番の六山林に所属する地域であると主張するに対し、被控訴人はこれを争い右地域は被控訴人所有の一九番の一・二の山林に所属する地域であると争うので判断するに、原審(第一・二回)及び当審での検証の結果によると、控訴人が二〇番の六山林と一九番の一・二山林及び二〇番の四畑との境界であると主張する別紙図面表示(イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ)・(ホ)・(ヘ)点を順次結んだ線のうち(イ)-(ロ)線は山林と畑地の分界線、(ロ)-(ハ)線は土堤の東側に添う線、(ハ)-(ニ)線は土堤の北側に添う線及びこれを延長した線(ただし墓地の部分はこれに添つて北西部に湾曲)であること及び(ニ)-(ホ)-(ヘ)線は(ホ)点に直径約一尺五寸のもみの伐根があるほか特に界標と認められるものがないこと、被控訴人が右両地の境界であると主張する別紙図面表示の(イ)・(ル)・(オ)・(ワ)点を順次結んだ線のうち、(イ)点には目通約六寸の栗立木があり、(ル)点には界標と覚しきうつぎの生立する直径三尺の塚があり、(ル)-(オ)線はほぼ峯に当る部分を連ねる線で、(オ)点には直径約三尺の塚があり、(ル)点と(オ)点と中間にも直経約七尺の塚及び直径約五尺の塚があること及び(オ)-(ワ)線には松伐根があるほか界標と認められるものがないことが明らかである。

右の事実によると、(イ)-(ロ)-(ハ)-(ニ)線及び(イ)-(ル)-(オ)線はともに境界を示すにふさわしい様相があるというべきである。

ところで、成立に争のない甲第三号証(もと吉田村備付図面の抄本)に照合してみると、控訴人主張の(イ)-(ロ)線は二〇番の六山林と二〇番の四畑との境界に符合し、(ロ)-(ハ)-(ニ)線は二〇番の六山林と一九番の一・二山林との境界に符合する。そして被控訴人主張の(イ)-(ル)線は二〇番の六山林と同番の七山林との境界に符合し、(ル)-(オ)線は二〇番の六山林と二一番山林及び地番不明の土地との境界に符合する。

以上の事実に、成立に争のない甲第七号証、原審での証人板垣とくゑ・大崎直三郎、当審での証人渡辺幸吉、原審及び当審での証人佐藤文男・中川善七(原審第一・二回)各証言、原審での控訴人法定代理人中川辰雄本人尋問の結果、当審での鑑定人黒田幸衛の鑑定の結果を総合すると、控訴人所有の二〇番の六山林と被控訴人所有の一九番の一・二山林及び二〇番の四畑との境界は別紙図面表示の(イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ)・(ホ)・(ヘ)点を順次結んだ線であり、係争地域は二〇番の六山林に所属することが認められる。

右認定に反する原審での証人中川多利治・本木利四郎・堀籠重次郎・堀籠定・安藤運助、原審及び当審での証人安藤はる・中川うん(各第一・二回)の各証言、原審での被控訴人本人尋問の結果は措信しない。

被控訴人は二〇番の六山林と一九番の一・二山林との境界は別紙図面表示のル・オ・ワ点を順次結んだ線であると主張するが、もしそうだとすると、二〇番の六山林と二〇番の四畑とが接続しない結果となり、この点前記甲第三号証と符合しないし、また一九番の一・二の山林の形状が同証と符合しないことは前記鑑定の結果に照合して明らかであり不合理である。

(三)  被控訴人の取得時効完成の抗弁につき判断するに、原審での証人本木玉治、堀籠重次郎・堀籠定・安藤運助、原審及び当審での証人中川うん(各第一・二回)の各証言、原審での被控訴人本人尋問の結果(第一・二回)によると、被控訴人家では昭和七~八年ころから本件係争地を占拠し、立木の伐採・製炭などをしてきたことが認められる。しかし、成立に争のない甲第二・四号証、第五ないし第七号証、第九・一〇号証、原審での証人板垣とくゑ・佐藤文男・大崎直三郎・本木利四郎、原審及び当審での証人中川善七(原審第一・二回)、原審での控訴人法定代理人中川辰雄本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認定することができる。

すなわち、上童子沢二〇番の一畑三畝二九歩・同番の四畑一反七畝六歩・同番の五畑四畝一四歩・同番の六山林はもと板垣実の所有であつたが、同人は小学校教員で郷里を離れて勤務していたので、右の不動産などは同人の母板垣とくゑが管理してきた。被控訴人は代々係争地付近に居住していたが、昭和七~八年ころ被控訴人先代中川庄吉が境界を犯し二〇番の六山林地内の立木を伐採したことから両者間に紛争が生じ訴訟となつた。しかし、板垣実は自ら訴訟を追行することを好まなかつたので、昭和九年一〇月七日広瀬万吉・泉田とく江両名に前記四筆の土地を譲渡し、右両名との間で係争中昭和一三年二月二一日被控訴人は右両名から買戻特約付で前記四筆の土地を買受けたので境界の紛争はいつたん落着した。

ところが、間もなく被控訴人は二〇番の六山林の境界をこえて吉田潤平所有の二一番山林の立木を伐採したため、右両者間に紛争を生じたので、被控訴人に対し二〇番の六山林を売渡した広瀬万吉・泉田とく江両名は責任を感じ、被控訴人に対し買戻権を行使し、訴訟の結果同年一一月二四日勝訴の判決を得、これにもとづき昭和一四年八月七日前記四筆の土地につき所有権移転登記を経由した上、同月一〇日これを吉田潤平に売渡し、昭和一八年一月二二日その旨の登記を経由した。そこで吉田潤平は二〇番の六山林と一九番の一・二山林との境界につき被控訴人と話合をしようとしたが、被控訴人が兇暴の態度に出て話合ができずに推移するうち、昭和二四年七月七日二〇番の六山林を控訴人に売渡した。以上の事実を認定することができる。

してみると、被控訴人の本件係争地域の占有はその初め善意であつたとしても過失があるものというべく、したがつて昭和一七年一月一日から起算し一〇年の取得時効の完成により本件係争地域の所有権を取得したとの被控訴人の主張は理由がない。

また、被控訴人は、昭和八年一月一日から起算し二〇年の取得時効の完成により本件係争地域の所有権を取得した旨主張するけれども、控訴人が昭和二七年一二月二五日本訴(境界確認並びに損害賠償の訴)を提起したことが本件記録上明らかであるから、これにより時効は中断されたものというべく、被控訴人の右の主張も理由がない。(被控訴人は昭和二六年一二月三一日の経過により二〇年の時効が完成したかのように主張するけれども、昭和八年一月一日から起算するときは昭和二七年一二月三一日の経過とともに二〇年の取得時効が完成すべきことは算数上明らかである。なお控訴人は昭和三四年二月一七日午後一時の当審口頭弁論期日で、右旧訴を取下げ、訴訟を提起したのであるが、旧訴と新訴は、その請求の原因が全然同じであり、ただ単に請求の趣旨を境界確定から所有権確認に変更したに過ぎないのである。そして右両訴の控訴人の請求の趣旨を対照してみると、旧訴で形成される実体上の権利関係と、新訴で確認される権利関係とは、その間にほとんど何らの差異がないのである。すなわち、控訴人は、本件について、裁判所の判断を求めることを断念して旧訴を取下げたものではなく、これに替えて前示のような新訴を提起したものであるから、旧訴の取下といつても、右は訴の全面的終了を意図するいわゆる訴の取下とはその本質を異にし、民法一四九条に掲げる訴の取下に該当しないものと解するから、旧訴の取下があつたにかかわらず、その提起によつて生じた時効中断の効力にはなんらの影響がないものと解する。

したがつて、本件係争地域は控訴人の所有であるというべく、被控訴人はこれを争うから、控訴人は本件係争地域が控訴人の所有であることの確認を求めるにつき即時確定の利益を有し、控訴人の右請求は理由があるからこれを認容すべきものである。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 鳥羽久五郎 羽染徳次)

昭和三〇年(ネ)第五九九号 境界確認等請求事件

図〈省略〉

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